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クシノテラス企画展

 ここにいる 

開催期間
2020/05/30

2020/08/30

開館時間
11:00 ~ 17:30

休館日:毎週木曜日

戦争や天災、飢饉などにより、生存が不確かな時代においては、生きることそのものが人間の目的となっていた。

しかし、社会が成熟し、命の危険がないことが当たり前の現代においては、自らが生きる意味を自分で見つけることが求められるようになっている。僕たちは、自分はいったい何者で、いかに生きるかを常に模索している。ましてや、SNSで他人の幸せが目に入ってくるようになったことで、自分の人生に不安を感じている人も多い。

しかし、いくらお金を手にいれ高価な品に囲まれ、多幸感に包まれたとしても、その充足感はやがて失われていくことを僕らは知っている。 一時的な幸せに対する人間の欲望には際限がないことは、あらゆる歴史が証明しているだろう。

同時に、ひとと違うということや自分の感覚に従うことは、正しいことだと分かっていながら、自分らしくいることは、とても怖いことだということにも僕らは気づいている。

そうしたなかで、既存の評価軸に左右されることなく何かに没頭して生きている人は、強い「自分」を持っている。 そこで本展では、「自分」の存在を中心に据えた独創的で強烈な自己表現を紹介させていただく。

路上で、自宅で、アトリエで、そしてスマートフォンの画面の中で、 彼ら/彼女らは、自分だけの居場所をつくりだし、自分が何者であるかを世界に知らせている。

耳をすませば、
きっと君にも
届くだろう。
「ここにいる」という
力強い声が。

出展者

すぎの いちを

スギノ イチヲ

1965年生まれ、広島県福山市在住。

2歳のとき、両親と兄が徳島県に転居。スギノだけが福山市の祖父母宅に預けられたことで、常に孤独感や疎外感を感じるようになる。高校1年生のとき、古書店で「つげ義春」の漫画に出会い、漫画収集に没頭するようになる。多摩芸術学園を卒業後は、福山市にあるデザイン会社へ就職し現在に至る。

人生も半ばを過ぎ、自分らしい方法でみずからの人生の爪痕を探っているとき、髪を伸ばしている理由を知り合いに指摘された際、冗談で「キダ・タローみたいな髪型にしようと思っとるんじゃ」と返答したところ、意外にも賞賛を受ける。

2017年1月22日に自宅でくつろいでいたとき、知人の返答を思い出し、ガムテープなどを利用してキダ・タローに変装したところ、酷似していることに気づく。その日から「#おじコス」とハッシュタグをつけ、尊敬する著名人に扮しInstagramへの投稿を続けている。模倣することで満たされる開放感は、スギノにとって生きる喜びとなっている。

えんどう ふみひろ

遠藤 文裕

1972年生まれ。福岡県在住。

小学校5年生と6年生のときにつくった学級新聞がきっかけで、表現の楽しさを知る。中学生になり学級新聞という発表の場を失った遠藤は、やがて誰にも見せることのない日記やネタ帳、スクラップの制作へと遠藤を駆り立てていく。

当初はノートに大量のネタを細かい字で記していたが、次第にみずからが訪れた美術館や映画館のスクラップが紙面の多数を占めるようになり、有名人やそれとは無関係の風景をコラージュした「関連妄想」の世界を楽しむようになる。現在は、櫛野展正を追いかけながら仕事の合間にスクラップ制作に勤しむ日々を送る。

本展では、これまで制作したスクラップだけではなく、実際に遠藤が各地で撮りためてきた自撮り写真を初公開する。また、書籍『アウトサイド・ジャパン 日本のアウトサイダー・アート』で紹介された「遠藤文裕 観察日記」の後日談をまとめたノートを公開。新作のノートには、3日で婚約し結婚することになった遠藤のその後の人生が描かれている。

たくま

太久磨

1986年生まれ、香川県在住。

中学卒業後にアニメーターや映画監督などを目指し上京するが挫折。帰郷後、みずからの生き方を模索するなかで、ゴッホに憧れ絵を描くようになる。22歳で画家を目指して再度上京。貯金も尽きかけ自己否定を繰り返し上野公園でデッサンをしていたとき、勧誘を受け宗教団体Alephへ入信する。人体内に存在するとされる根源的生命エネルギー「クンダリーニ」の覚醒を目指して、仕事終わりに毎日道場へ通い、6年間出家信者を目指し信徒として修行を続けた。

やがて求める方向性の違いに疑問を感じ、29歳で脱会。木々や植物からエネルギーの存在を感じるようになり、マンションの屋上で目にしたアロエに心を奪われ、「自画像としての植物」と題した植物画の連作を描き始める。

これらの絵は、ほとんど同じ構図や色彩で描かれ、3年間で100点以上を制作。その背景には、太久磨がアニメーターや宗教団体で培ってきたアニミズムの思想や宗教観が色濃く反映されている。本展では、これまでの絵画に加え、より抽象化された新作絵画を初公開する。

たん さくぞう

丹 作造

1958年生まれ、東京都在住

小さい頃から絵を描くことが好きで、12歳からは音楽に傾倒。大学卒業後から現在までビル清掃の仕事に従事している。30歳のとき、それまでの人生を振り返り、仕事の合間に独学で音楽活動と絵画を始めるが、音楽活動は5年で挫折。35歳より、本格的に絵を描き始め、39歳のときから都内で作品の発表を始める。

反アカデミズムを徹底して貫いており、個展の際には作品の額装などはせず、会場内では自身の好きな音楽を流している。その反骨精神は、敬愛するパンク音楽の精神に基づいている。

自身の清掃の仕事に対する他者からの差別的意識が、彼の制作の原動力になっており、絵のなかには彼をさげすんできた人物が描かれている。彼にとって絵を描くことは、そうした人たちに対する怒りや暴力的衝動を抑えるための「特効薬」になっている。

はら ゆきこ

原 夕希子

1987年生まれ、広島県在住。

小さい頃から絵を描くことが好きで、中学時代から美術部に在籍。 「他人より手が大きいことがコンプレックスで、だからこそ気になっていた」という彼女は、昔から自分の手を描いてきた。手のデッサンを何枚も続けていくうちに、掌ではなく手の甲を頻繁に描いていることに気づく。

そのとき、自分の指の皺が柔らかく綺麗で、特に左手の中指の皺がとても整っていることを初めて認識。以後、「美人でもスタイルが良いわけでもない普通の人間だった私が、唯一美しいと思ったのが左手中指の皺だった」と、「ゆびふし」(中指の節の略)と名付けた絵を描き始める。

描いていくうちに、皮のたるみや日々の状態で変化していく「ゆびふし」に一層魅了されるようになる。 本展では、「ゆびふし」を画面に敷き詰めた油彩画などを展示。何かを埋め尽くす行為は原の根源的なテーマなのかも知れない。

まきえまき

マキエマキ

1966年生まれ。埼玉県在住。

23歳のとき、コンパニオンをやりながら趣味の登山を活かした山岳写真を撮影するため写真学校へ通い始める。卒業後、モデルやアシスタントを経て27歳のときにカメラマンとして独立。現在もフリーランスの商業写真家として活動を続けている。

2015年1月、愛とエロスをテーマにした写真展に着せ替え人形玩具を官能的に撮影した写真を出展したことで、みずからの内に宿るエロスを自覚。同年3月に自身のセーラー服姿を自撮りした写真をFacebookにアップしたところ大きな反響を得たことがきっかけで、自撮りによる撮影を開始。

以後、夫ともにさまざまなロケ地やシチュエーションを模索しながら、セーラー服に始まり、ホタテビキニから女体盛りまで、笑いとエロスを融合させた自撮り作品の発表を続けている。近年は「人妻熟女自撮り写真家」として人気となり、初写真集「マキエマキ」(集英社インターナショナル)を刊行している。

よなは しゅん

与那覇 俊

1979年生まれ、沖縄県在住

高校卒業後、茨城大学理学部へ進学。大学4年生になったとき、「おじいさんの生霊が頭の後ろに取り憑いている」と周囲に訴えるようになる。やがて、生霊の存在は与那覇さんに精神的な不安定さをもたらし、家族へ助けを求めるようになる。通院の結果、精神疾患と診断を受け、家族のサポートを受けながら大学を卒業したあと、沖縄へ帰郷。

2013年9月、当時通っていた那覇市地域生活支援センターで見た知人の作品に触発され、本格的に絵を描くようになる。当初は小さな紙に描いていたが、次第に大判の紙に描き始める。画中の至るところには、みずからに取り憑く「おじいさん」の姿やそのセリフを描いている。ときには自身に関連した実在の人名や出来事を描くこともあり、みずからが経験した情報を絵に反映させている。

そうした不可視の存在を絵のなかに登場させ、まるで自分の気持ちを吐露するようにダジャレを盛り込みながらそれらとの対話を展開している。近年は、絵を描くことで心情も安定。病気との上手な付き合い方を見つけたようだ。

ぴんくすきー

ピンクスキー

1986年生まれ、神奈川県在住

生理前に絶望感や自殺願望が現れる月経前不快気分障害(PMDD)や自閉症スペクトラム、統合失調症などさまざまな障害を抱え、20代半ばから本格的に絵の制作を始めた。 制作時は画面が汚れないように手袋をはめ、色鉛筆やクレヨンを塗り込み、はみ出した部分に丁寧に消しゴムをかけていく。その姿は、まるで神聖な儀式のようだ。1枚描くのに2ヶ月は費やしている。

精神的に弱っているときに描くポップで毒っ気のある絵画に、彼女は自己を投影させている。絵のなかの女性は残虐な行為を行うこともあれば、様々な場所へ自由に出かけていくこともある。ひとりで外出することだけでなく、部屋の掃除や他人と長時間コミュニケーションをとることが困難なピンクスキーにとって、絵の中は唯一自由でいられる場所なのだ。自らの内面を切り開くように描かれたその絵画からは、圧倒的な生へのエネルギーが感じられる。

がたろ

ガタロ

1949年生まれ。

河童やくず拾いを意味する「ガタロ」を名乗る。 高校卒業後、製版会社や郵便配達員、キャバレーのボーイ、日雇い労働などの職を経て、33歳のときから広島市の市営基町アパートにあるショッピングセンターで清掃員として働き始める。

以後35年以上、毎朝午前4時から午前9時半頃まで清掃の仕事に従事。勤務後、みずからが使っている掃除道具の佇まいに美しさを感じ、拾ってきたクレヨンなどでスケッチをするようになる。

メディアへの露出により、近年は「聖人」として認知されているガタロだが、本展ではステレオタイプ化された自身のイメージと上手く折り合えない本来の姿を投影した絵画を展示。2018年4月から毎日描いている無数の「雑巾」は、使い古された道具の最終形態としての姿であり、社会から搾取された清掃員としての自身の姿と重ね合わせている。 また、2020年3月制作の最新作『闇夜のカア子』も展示する。

新型コロナウイルス感染症への対応につきまして

にしぴりかの美術館では、新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため以下の対策を講じています。

  • 入り口付近に消毒液を設置しお客様にご利用いただけるようご案内いたします。
  • 美術館内には空気除菌装置を設置する他、消毒液などによる清掃を強化するとともに清掃頻度を増やします。
  • 展示室内が過度に込み合わないよう、入場の制限をかけるなど、館内環境に配慮します。

ご来館の皆様へのお願い

  • 以下のお客様につきましてはご来館をお控えいただきますようお願いいたします。
    • 37.5度以上の発熱や咳、くしゃみ、鼻水など風邪の症状があるお客様 (展示室内等で激しく咳き込まれるなど、風邪のような症状のある方には、スタッフがお声がけし、ご退出をお願いする場合がございます。)
    • ご家庭や職場、学校など身近に新型コロナウイルス感染症の感染者もしくは感染の可能性のある方がいらっしゃるお客様
    • 体調がすぐれないお客様
  • こまめな手洗いにご協力をお願いします。消毒液を設置しておりますので、ご利用下さい。
  • ご用意が可能なお客様はマスクの着用をお願いいたします。
  • 近距離での会話は、飛沫感染の恐れがありますので、マスク着用などにより飛沫拡散防止にご協力願います。
  • やむを得ず、展示室内の混雑を緩和するため、入場制限を行う場合がありますので、あしからずご了承願います。

本展につきまして現在開催の方向で準備をすすめております。
ただし今後の感染の状況によりましては本展の開催を中止する場合もございます。 その際にはホームページやSNSなどにより告知させていただきますのでその際は何卒ご容赦くださいますようお願い申し上げます。

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