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島崎敏司

島崎敏司

SHIMAZAKI Toshiji

普段から絵を描く時はほとんど何も考えずに描き始めます。描いていくうちに段々と絵が見えてきます。画材も色々なものを使います。パステル、蜜蝋、ボールペン等を使い、ほとんどが抽象画を描くことが多いです。その日その時の気持ちで画材を決め、画用紙に向かって黙々と描いています。最近になって自分なりに分かったことがあります。絵の描き始めは、この絵はあまり良い絵にはなりそうもない、と思っても描き込んでいくうちに案外と自分で気に入った作品になる時がある、ということです。近頃はド近眼と老眼に悩ませられながら描いている始末ですが、これからも末永く描き続けていくつもりなので、よろしくお願いします。

島崎敏司さんのモノローグ

・・・なぜ、絵を描き始めたか

私は18年前に丘の上病院に4年間入院していました。その間、造形教室には参加したことがなかった。絵には全く興味が無かったし、むしろ不得手だ、と思い込んでいたかもしれません。

通院後、デイケアに通って1年半ぐらい経った頃、父親が末期ガンで余命3ヶ月と医者から言われ、その時に自分の心の内で、何かをしたい、何かをしなければという気持ちが高じてきた、上手く表現できないけれども、何かそういう気持ちが湧いてきたんです。

でもそれが自分が一番不得意だと思い込んでいた。興味がなかった絵に行ったんですよ。

(映画「破片のきらめき」2005年3月のインタビューから。)

・・・はじめて描いた絵

最初は何を描いていいのか本当に分からなくて、ちょっと考えて、画用紙にマス目をつくってそのマス目を色鉛筆で一コマ一コマ塗りつぶしていくという単純作業から始めたんです。結構それがまわりの人たちにもウケて。それ以来毎週水・木の<造形教室>に参加するようになったんです。

石の上にも3年と言うか、描き続けているうちに色々な画材、技法を使うようになり、この12年間色々な絵を描いてきました。(2005年当時)

鉛筆、ボールペン、パステル、アクリル、それから油絵、本当に莫大な量になるほどの絵が、平川病院のアトリエに置いてあります。(現在は、にしぴりかの美術館保管)

あれはもう9年前、初めて都民展に出そうと思って50号の油絵を初めて描きました。(展示作品「球体への想い」)

それが入選して上野の都美術館に飾られたわけですけど、その時の喜びはひとしおでした。これで自分も一人前の事がやれたんだなと、何とも言えない気持ちでした。

(映画「破片のきらめき」2005年3月のインタビューから。)

・・・病気について

もともと幼児期からおとなしくて内気で神経質な性格だったんです。それがすぐ病気に結びつくことではないと思うのですが、初めて症状が出たのが高校2年の頃で、喉に何かがはり付いたような異物感があって、その時は、しょっちゅうガムを噛んだり何かを飲んで紛らわせたりして、卒業したら一旦おさまったんです。

それが23歳頃になって、友達とレストランで食事をしていた時、突然気分が悪くなって、顔面蒼白になり冷や汗が出てという、不安発作みたいな症状があらわれました。

それ以降、とにかく食事をする場所に入るのが本当に苦痛になってしまって、なのにどうしてもそういうことを親にも他人にも言えなかったりして、一人で悩み苦しんでいたんです。だんだんひどくなってきて、そういう場に入った瞬間に発作が出てきてしまうんです。

もう自分でも精神的なものだと分かっていたんで、初めて精神科の病院に24の頃に行ったんです。そこで「不安神経症」と診断されました。

その後、丘の上病院に外来通院することになりました。しかし、なかなか良くならなかったんです。

ある夏の日、外来のロビーから外を見ていたら、入院患者さんとかデイケアの人とか一緒になってバレーボールしているのが見えました。その時に、ああやっぱり自分も入院して人と交わったり、規則正しい生活をしていったら良くなるんじゃないか?何かそういう感じがして、その時の診察で先生に、入院効果というのはあるんですか?と聞いたら「ある」って言われたんです。もうその一言で、自分は入院しようと思って、家に帰って「入院する」って親に自分から宣言するように告げました。

(映画「破片のきらめき」2005年3月のインタビューから。)

・・・表現すること癒されること

私にとって、表現することは何か、と聞かれれば、ただ、自分が描きたいように描いているだけ、というしかありません。

はじめから、何をどう描くか、ということは決まっていません。

毎週木金の2日<造形教室>に通い続けていますが、「絵を描きに行くんだ」という気がまえで行くんじゃない、とにかくそこに行けばアトリエの仲間たちいて、自分の“指定席„があり、エンピツ、クレパス、パステル、水彩、油絵具さまざまな画材が備えてある。その日その時の気分で画材を選び、画面に向かいます。昼食をはさんで終日絵を描き、いつしかさまざまな作品ができあがっている、という感じ。描くことが、ただ楽しいだけではなく、ときに壁につきあたったり、迷いや苦労があったり、しかしそうしてでき上がって行く作品で、自分自身でも思いがけない発見や広がりを体験することが多くあります。

毎年、八王子中央図書館ギャラリーでつづけられている「“癒し”としての自己表現展」で沢山の人が観に来てくれ、いろんな出会いを体験する、それが私にとっての“癒し”じゃないか、と思います。

絵にはまったく興味がないどころか、むしろ不得手、嫌いでした。それが今日まで12年続いているのは、どうしたのか。(2006年当時)自分の内には、自分でも知らないもうひとりの自分が在ったからじゃないでしょうか。

絵が嫌い、という観念だけで決めてしまっているなら、12年間も続かないと思う。何かがあるのだろう、それが今でもわからないのです。

(映画「破片のきらめき」2005年3月のインタビューから。)


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